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2024年にボスニアヘルツェゴビナに3か月間滞在し、肌身で感じたことをまとめています。
ボスニアに来る前は「紛争」というイメージしかありませんでしたが、そのイメージはガラッと変わりました。
・ボスニアヘルツェゴビナってどこの国?
・ボスニアヘルツェゴビナと日本との関係
・ボスニアヘルツェゴビナの紛争
・ボスニアヘルツェゴビナの観光
・ボスニアヘルツェゴビナに3か月暮らしてみて。
・ボスニアへ旅行する
以上についてまとめています。
目次
ボスニアヘルツェゴビナってどこの国?
ボスニアヘルツェゴビナはバルカン半島に位置する国です。
ボスニアヘルツェゴビナの地図
ボスニアヘルツェゴビナのデータ
首都:サラエボ
人口:323万人
面積:51000平方キロメートル
言語:ボスニア語
宗教:イスラム教・セルビア正教・カトリック
通貨:マルク(1マルク80円程度)202405現在
静岡県の人口が363万人程度ですので、静岡県程度の人口です。
九州と四国を合わせたくらいの面積です。
言語はボスニア語ですが、セルビア語とクロアチア語とモンテネグロとほとんど変わらない感じです。
英語は若い方がよく話せる印象です。30代以上の方は現地の言語のみで英語が理解できない人も多いイメージです。
ボスニアヘルツェゴビナは「ボスニアとヘルツェゴビナ」からなっています。
そのためボスニア国内では「BIH ボスニア I(ボスニア語でandの意味)ヘルツェゴビナ」と表記されるのが一般的です。
プラス、スルプルカ共和国というセルビア民族系の地域に分かれています。
そのため、3つの地域に分かれていることがわかりますね。
現在でもスルプスカ共和国とボスニアヘルツェゴビナは境界線がひかれており、自由に行き来ができるものの、バス停などが分かれていたりと、分断されている、されていた過去が感じられます。
ボスニアヘルツェゴビナと日本との関係
日本とボスニアヘルツェゴビナとの関係は良好であるといえます。
日本は1996年にボスニアヘルツェゴビナを国家として承認し、その後、日本大使館をボスニアヘルツェゴビナの首都であるサラエボに設置しています。
そのため、ボスニアヘルツェゴビナにいながら、日本大使館で犯罪証明書の手続きなどができます。
日本はボスニアヘルツェゴビナに対し、経済的な支援を行なっており、これまでに500億円ほどの支援を行なっているようです。
その中で日本のODAを中心として、ボスニアヘルツェゴビナにあるモドリチャやドボイという地域に橋を建設したりしています。
私がクロアチア国境付近にある地域に出向いた際には「from japan」と書かれた車が走っていたりと、日本からの支援を受けていることが感じられました。
ボスニアヘルツェゴビナやコソボなどの国々では日本が経済発展のために支援をしており、街中でたまに「この車は日本からのものです」といった表記があったり、街中に日本への感謝を記したモニュメントが立っていたりします。
そのため、日本とボスニアヘルツェゴビナやコソボ、セルビアなどの国々の関係性は良好であるといえます。
また、街中には「トヨタ」「ホンダ」などの日本製の車も走っており、親近感も感じられます。
そのほか若い世代だとアニメを見ている人も多く、日本人だとわかると、「なると」「ドラゴンボール」などと叫ばれることもありました。
ボスニアヘルツェゴビナの紛争
ボスニアヘルツェゴビナといえば「紛争」といったイメージが日本にはあるようですね。
ネットでボスニアヘルツェゴビナと検索すると「紛争」といったワードが一番上に出てきます。
事実、ボスニアヘルツェゴビナでは紛争が続いていました。
しかし、現在は紛争などあるはずもなく、平和な日常がそこにはあります。
ボスニアヘルツェゴビナの歴史
ボスニアヘルツェゴビナは元々ユーゴスラビアという国であり、ボスニアヘルツェゴビナ、セルビア、クロアチア、マケドニア、モンテネグロといった国々が一つとなっていました。
そのユーゴスラビアを解体するか否かということでまず、揉めてきた歴史があり、その流れで、ユーゴスラビアの中心だったボスニアヘルツェゴビナにはセルビア系、クロアチア系、ボスニア系の3つの民族が住んでいたため、意見が食い違い、紛争につながっていきました。
その結果、現在でもボスニアヘルツェゴビナは大きくわけで2つに分けられています。
一つがクロアチア系のボスニアヘルツェゴビナ。
2つ目が、セルビア系のスルプスカ共和国です。
このセルビア系のスルプスカ共和国に入ると、セルビアの国旗が至る所にあります。
トリコロールのロシアのような、セルビアのような色の国旗が至る所に掲げられていて、同じボスニア内にいながら、別の国に来たんだな!と感じることができます。
また、スルプスカ共和国の首都であるバニャルカからサラエボへのバスは途中、スルプスカ共和国を出ないように道路を縫って進むため、距離的には300キロ程度で3時間程度で到着できそうですが、4時間から5時間程度かかってしまいます。
このように、民族同士の分断が根強く残っている印象も感じられます。
この2つを合わせて、ボスニアヘルツェゴビナになっています。
民族間の問題は現在も続いていますが、ボスニアヘルツェゴビナに住む住民は紛争時代から学んでおり、消して紛争を起こしてはならないといった空気があるようです。
そのため、紛争が終了し30年間、大きな争いが起こることなく、民族同士で理解を深めているようです。
ボスニアヘルツェゴビナの観光
ボスニアの観光は
・首都サラエボ
・スルプスカ共和国の首都バニャルカ
が主に知られているところです。
バニャルカには飛行場もあり、ヨーロッパから安い便が出ていることもあり、東欧諸国を周遊する場合にはおすすめの空港になります。
バニャルカからドイツ、オーストリアまでは三千円程度でいくことができます。
また、ボスニアにはボスニア特有の料理があります。
どのレストランに入ってもどんなに高そうなレストランでも、たいてい千円程度でお腹いっぱい食事をすることができます。
料理はセルビア系の料理やコソボ、モンテネグロ、アルバニアが合わさったような料理が出てきます。
ちなみにコソボでしか見ることができなかった「ぐらし」というミネストローネのような料理があるのですが、ボスニアにも「ぐらし」が存在していました。
ボスニア料理ぐらし
ボスニアレストランで何を言わなくても出てくる料理
ボスニアのレストランに行くと、大抵このような料理が出てきます。
まず、スープに始まり、続いてサラダが出てきます。その後、メインであるチキンとライスもしくはマカロニ。
最後にデザートとして甘いケーキか、まるぼおろにシロップをかけたようなデザートが出てきて終わりです。
また、どのレストランも宗教上の理由により、チキンが食べられない人がいるため、魚も用意されています。かなり大きな魚の丸焼きが出てくるので、ボリューム満点ですよ。
さらに、付け合わせとして、パンはいくらでも注文することができるので、お腹いっぱいにならないでレストランを出るなんてことは絶対にないです。
ボスニアにはチップの文化はないため、基本的にはチップの支払いは必要ありませんが、ウエイターに対して、チップを払っているふと客をたまに見かけることがあります。
その際にはチップ文化がもともとないため、気持ち程度を支払えばいいと思います。
ボスニアのお土産
・キリム
・民芸品
ボスニアのお土産といえば、民芸品や、キリム製品になるかと思います。
バルカン諸国のお土産といえば、キリム製品ですね。
独特な柄が特徴的で、日本に持ち帰ると異国感ある雰囲気を作ることができます。
また、現地で購入すると、日本で買うよりかなりお得な印象です。
そのほかですと、特にこれといったお土産はありませんが、スーパーマーケットに行くと、ボスニアにしかない製品が多くあります。
・ビール
・お菓子
・シャツ
お菓子などの品揃えはどのスーパーもよく、お土産に良さそうな箱に入ったお菓子なども揃っています。
また、露天に行けば、サッカーのシャツなどが飾られた店が多くあり、お土産にもってこいといった感じです。
ボスニアヘルツェゴビナに3か月暮らしてみて。
ボスニアに3ヶ月暮らしてみて、感じたことは「ここも誰かの実家である」ということです。
ボスニアと聞いて、実際に来るまでは「紛争」というイメージしかなく、怖さすらもありました。
しかし、関わる人みんな優しく、特に嫌なこともなく、安心して楽しく暮らすことができました。
また、日本人と知って、日本語で話しかけてくれたり、英語を話してくれる人も多く、すれ違うボスニア人はみんな「チャオ!」と挨拶をしてくれ、歓迎されてるな!と感じることが多くありました。
私個人としてはサッカーをするためにボスニアに来ましたが、こんな田舎にサッカーを見にくる人がいるのかと考えていましたが、週末の試合になると、町中の人が集まり、スタジアムが満席になるくらいの人が集まり、試合が終わるとお酒を飲んで笑い合う。そんなまさにヨーロッパのような雰囲気が大好きでした。
ボスニアにサッカーをしに来ている選手は10年ほど前からいて、毎年2、3人の選手がプレーしています。
隣国モンテネグロでは毎年10数人の日本人選手がプレーしているため、ボスニアもいずれもっと日本人選手が増えるかもしれませんね!
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東京からサラエボまでの航空券
サラエボから東京へは2024年現在約8万円程度で航空券を購入することができます。
【3か月滞在して分かった】ボスニアの紛争や日本との関係や現在の状況は?まとめ
ボスニアで3ヶ月程度暮らし、わかったことはボスニアも誰かの故郷であるということです。
どんな場所であれ、そこにすめば、そこが地元になる。
私も今ではボスニアに愛着を持っています。
ボスニアなんて国で生活する未来が来るとは思ってもいませんでしたが、そこにはもちろんいろんな人が住んでいて、日本と変わらない生活を送っています。
これからもいろんな国に住んで感じたことをまとめていきます。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
この記事はきりんツールで作成されました。